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「ストリップの起源って、実は神話にあったんじゃない?」

そんな話を聞いたら、ちょっと驚く人も多いかもしれません。ストリップといえば、現代ではエンターテイメントの一つ。
でも、実はそのルーツをたどると、日本神話のアメノウズメや、シュメール神話のイナンナといった女神たちの「脱ぐ」行為にたどり着くんです♡

「えっ、神話の女神がストリップ?」なんて思うかもしれません。でも、彼女たちはただ脱いで見せたわけじゃない。
その行為には、ちゃんとした理由と意味があったんです!

アメノウズメは、太陽神アマテラスが岩戸に隠れてしまったとき、彼女を引っ張り出すために踊りながら衣をはだけました。
一方、シュメール神話のイナンナは、冥界へ降りる際に七つの門で衣を脱ぎ捨て、ついには裸になりました。どちらも「脱ぐこと」によって何かを成し遂げようとした女神たち。

こうして見てみると、「脱ぐこと」は単なる性的なパフォーマンスではなく、神話の時代からずっと受け継がれてきた「力の表現」でもあったのかもしれません。
では、アメノウズメとイナンナの神話をもっと詳しく見ながら、ストリップの起源について一緒に考えてみましょう!

アメノウズメの舞とは?

日本神話の中で、アメノウズメは「最初のストリッパー」とも言える存在です。彼女が活躍したのは、有名な「天岩戸(あまのいわと)」のエピソードですね。
神話によると、太陽神アマテラスは弟・スサノオの乱暴なふるまいに怒り、天岩戸にこもってしまいました。
すると世界は闇に包まれ、神々は困り果てます。そこで考え出されたのが「賑やかに騒ぎ、アマテラスの気を引く作戦」でした。

その中心にいたのがアメノウズメです。

彼女は大勢の神々が見守る中、樽の上に立ち、着ていた衣をはだけさせながら踊り始めます。
その姿はあまりにも大胆で、周囲の神々は大笑い。
この騒ぎに「何が起きているの?」と気になったアマテラスが岩戸を少し開けたところを、力自慢の神・タヂカラオがこじ開け、太陽の光が再び世界に戻った――という話です。

ここでポイントなのが、アメノウズメの舞がただの娯楽ではなく、「世界を救うための儀式」だったこと。
彼女のダンスは、人々の気持ちを明るくし、場のエネルギーを変える力を持っていました。
これは現代のストリップにも通じるものがあると思いませんか?ストリッパーたちは、単に衣を脱ぐだけでなく、観客の気持ちを高め、空間を支配するエンターテイナーでもあるんです。

また、アメノウズメはこの舞によって、のちにサルタヒコという神の妻となり、芸能の神としても崇められるようになりました。
つまり、彼女は「脱ぐこと」で運命を切り開き、神話の中でも特別な存在になったわけです。

では、この「脱ぐことに意味がある」という考え方、シュメール神話のイナンナにも共通するのでしょうか?

イナンナと冥界降下の儀式

さて、日本神話のアメノウズメと並んで、「脱ぐこと」に特別な意味を持たせた女神がいます。それがシュメール神話のイナンナ。
古代メソポタミアの女神イナンナは豊穣・愛・戦争を司る強大な女神であり、後の時代にはイシュタルとも呼ばれました。そして、彼女の最も有名なエピソードの一つが、「冥界降下」の神話です。

イナンナは、死者の国である冥界(クル)へ向かいます。その目的は、自分の権力を拡大するためとも、冥界の女王である姉・エレシュキガルに会うためとも言われています。
しかし、冥界は簡単に通れる場所ではありません。イナンナは冥界の七つの門を通過しなければならず、そのたびに身につけていた衣や装飾品を一つずつ脱がされていくのです。

彼女が脱いだものを順番に見てみると、ただの衣服ではなく、王権や神性を象徴するアイテムばかりでした。

冠 → 女神としての権威

イヤリング → 知恵や洞察力

ネックレス → 霊的な力

胸当て → 戦士としての強さ

腰布 → 豊穣と愛の象徴
腕輪 → 守護の力

ローブ → 神としての完全性

こうして彼女は最後には何も身につけず、裸の状態で冥界の女王エレシュキガルの前に立たされます。
そして、イナンナはその場で力を奪われ、死んでしまうのです。

しかし、ここで終わりではありません。彼女は三日後に復活し、再び地上へと戻ってくるのです。
これは「死と再生」の神話の典型的なパターンであり、イナンナが裸になることは、単に無防備になるという意味ではなく、「自らの本質へと戻る」ことを示しているのかもしれません。

この神話をストリップと結びつけると、「脱ぐ=何かを失う」ではなく、「本来の自分に戻る」という視点が見えてきます。
衣服や装飾を身にまとうことで人は社会的な立場や役割を持ちますが、それを脱ぐことで「ありのままの自分」に戻ることができるのです。

ストリップの世界でも、「衣服を脱ぐ=ただ裸を見せること」ではなく、「観客に向き合い、自分自身をさらけ出すこと」に意味があると言われます。
イナンナの物語は、ストリップが単なる娯楽ではなく、人間の根源的なパフォーマンスの一つであることを示唆しているのかもしれません。

神話に見るストリップの本質とは?

では、ここまでのアメノウズメとイナンナを比較しながら、「脱ぐこと」の意味についてもう少し深掘りしていきましょう。

1. アメノウズメ型ストリップ:「場を明るくする力」

アメノウズメの舞は、暗闇を吹き飛ばし、人々を笑わせることで世界を救いました。これは現代のストリップにも通じるものがあります。ストリッパーが観客を魅了し、空間を盛り上げることで、そこにいる人々は日常の憂鬱やストレスを忘れ、解放感を味わう。まさに「エンターテイメントとしてのストリップ」です。

また、アメノウズメはその舞によって神々から認められ、のちに芸能の女神になりました。つまり、彼女は「脱ぐこと」を通じて自分の価値を確立したのです。これは現代のストリッパーが、自分の個性や魅力を表現しながらキャリアを築いていく姿とも重なります。
この違いを考えると、ストリップの持つ二つの側面が見えてきます。

2. イナンナ型ストリップ:「自分と向き合う儀式」

一方で、イナンナの物語は、「脱ぐこと」がただのパフォーマンスではなく、自己探求のプロセスでもあることを示しています。彼女は七つの門をくぐるごとに衣服や装飾を脱ぎ捨て、最後には裸の状態になります。これは、地位や権力、世間の評価などを手放し、「本当の自分」に戻る行為とも解釈できます。

ここまで見てきたように、日本神話のアメノウズメとシュメール神話のイナンナは、どちらも「脱ぐこと」に特別な意味を持たせています。でも、この二つの神話には決定的な違いもあります。それは、アメノウズメは「笑いと祝祭」のために脱ぎ、イナンナは「試練と再生」のために脱ぐという点です。

まとめ

ストリップをすることは、単に人に見せるためではなく、自分自身を解放するための手段でもある。
踊りながら一枚ずつ衣を脱いでいくことで、ストリッパー自身もまた、自分の身体や存在を再認識し、「本来の自分」に戻る瞬間があるのかもしれません。

この二つの神話を並べて考えると、ストリップには「人を楽しませるエンターテイメント」と「自己を解放する儀式」の両方の要素があることが分かります。
ただ脱ぐのではなく、そこに意味や目的がある——それこそが、ストリップの本質なのではないでしょうか?

Text by miumiureise